大判例

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東京高等裁判所 昭和26年(ネ)601号 判決

控訴代理人は「原判決を取消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも、被控訴人の負担とする」との判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張は、被控訴代理人において「被控訴人は成田地区農地委員会に対し、昭和二十五年七月十三日附で、本件農地について自作農創設特別措置法(以下自創法と表示)第五条第五号による指定の申請をしたが、それに対しまだ何の決定もない」と釈明し、控訴代理人においてその事実を認めた外、原判決の事実摘示と同一であるから、こゝにその摘示を引用する。(証拠省略)

三、理  由

埼玉県熊谷市成田地区農地委員会が、昭和二十四年九月十九日自創法にもとずき、被控訴人所有の本件土地九十坪につき買収計画を立て、これに対し被控訴人から同委員会に異議の申立をしたが、却下となつたので、更に控訴人農地委員会に訴願したところ、その訴願も棄却せられ、その裁決書が昭和二十五年九月二日被控訴人に送達せられたことは当事者間に争いがない。

被控訴人は、本件土地に家屋を建築する必要があるときは、何時でも本件土地を無条件で返還することとし、そのために使用料も特に安く、この土地の地租に相当する額(当時一ケ年金一円)と定めて、訴外岩田乙吉にその一時使用を許したものに過ぎないし、もともと家屋の敷地として使用されていたもので、近い将来再び宅地として使用せられる見通しのはつきりしている土地であるから、自創法にいうところの農地には当らないと主張するけれども、本件土地について買収計画が立てられた当時、訴外岩田乙吉において耕作していたことは、当事者間に争いがないし、原審証人岩田乙吉、当審証人亀田利平治の各証言を綜合すれば、被控訴人所有の土地の差配をしていた訴外亀田利平治は、被控訴人所有の農地の小作をしていた訴外岩田乙吉が、昭和十三年頃から本件土地を耕作していることを承知しながら、昭和十五年に至り、その小作料を一ケ年につき一円と定め、引続きその支払いを受けていた事実が認められ、その他の証拠によるも右認定を動かし得ないから、たとえ訴外岩田乙吉との間に、被控訴人において家屋を建築するときは、本件土地を明渡す旨の特約があつたとしても、そして本件土地が宅地として適当な土地であるとしても、それがために当然に自創法の適用を排除することになるものとは解し難いから、この点に関する被控訴人の主張は採用できない。

次に被控訴人は、本件土地は自創法第五条第五号にいわゆる「近く土地使用の目的を変更することを相当とする農地」に該当すると主張するので、この点について判断するに、本件土地が熊谷市より妻沼町に通ずる県道に沿つていて、従前訴外中島貫一郎、中田天津等の所有する家屋の敷地であつたことは、当事者間に争いがないし、この事実と成立に争いのない甲第八号証、原審証人吉田只次郎、中田天津、北真作、原審並びに当審証人亀田利平治の各証言、原審並びに当審における被控訴本人訊問の結果と、各検証の結果とを綜合すれば、今から四十年以上も前、大竹屋という屋号で馬車屋を営んでいた訴外中島貫一郎が、宅地にするため本件土地の一部を賃借し、石炭殼で埋め立てをして、地上げをし、その上に家屋を建て、外にも家屋が建てられたが、今から十年ほど前、県道拡張の際、右家屋はいずれも収去せられ、その後空地となつていたものを訴外岩田乙吉において耕作するようになつたものであるから、地味がやせている上に、県道沿いのためか、沢山の小石が交じつていて、農地としては普通の収穫さえ期待し難い土地であるが、その位置からいえば、本件土地から南に向つて熊谷市内に通ずる県道の両側には、人家が軒を竝べ、熊谷市の発展は本件土地の東南方に接近しつつある状態で(当審における検証調書添付の図面参照)若し本件土地について買収計画が立てられなかつたならば、とつくに宅地として利用せられたであろう事情を認めることができ、原審証人岩田乙吉の証言中、右認定に副わない部分は採用し難く、その他の証拠によつては、右認定を動かし得ない。

従つて本件土地は、自創法第五条第五号にいわゆる「近く土地使用の目的を変更することを相当とする農地」に該当するものと認められるから、たとえ熊谷市成田地区農地委員会において、その指定をしないでも、その土地について買収計画を立てることは違法というべく、これに対する異議や訴願を排斥したことも、当然に違法たるを免れない。

そうだとすれば、被控訴人の請求を認容した原判決は相当であつて、本件控訴は理由がないから、これを棄却することとし、民事訴訟法第三八四条、第九五条、第八九条を適用して、主文の通り判決する。

(裁判官 松田二郎 河合清六 岡崎隆)

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